shozaifumei

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無印良品は私を救ってくれる

 

 

リュックが壊れた。

 

私はリュックをすぐに壊してしまう。

なんでかというと、いつも時間ギリギリに家を出て、重い荷物をつめた状態で駅までトム・クルーズダッシュするから。

 


TOM CRUISE RUNNING MONTAGE

 

壊れたのは単純にムック本付録のリュックだから丈夫さに欠けていたせいもあるかもあるかもしれない。 

そうだとしても、時間にゆとりを持って行動すればこんなことにはならなかった。

ゆくゆくはそういう生活をしたい。する。

でも、私は私のあほな部分も受け止めてくれるリュックがほしい。

 

 

さいきんyoutubeで「inliving」というチャンネルを見てる。(あとポッキーさんのバイオハザードRE2の実況動画。)

私はYeYeの「ゆらゆら」という曲のPVが好きで定期的に見返す。そのPVに出ていた女の子が、inlivingの女の子、りりかさんだったということに今まで気づかなかった。

そのinlivingを見ていたところ、りりかさんが無印良品のリュックを紹介していた。

PCを入れることができて。肩の負担も少ないリュック。2990円。買う。

次の日でもよかったけど、今日欲しかったので、徒歩30分のところにある無印良品で小走りで行き、そのリュックを買ってきた。

 

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最近豆苗を育てている。栄養あるしすぐ伸びるし光合成する。

 

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ついでに買った鉛筆削り。左が今まで使っていたもの。右が無印の。筆箱に余裕で入る。

 

 

最近、誰かがおすすめしたり、コレ美味しかった、と言っていたものをよく好む。道具も、食べ物も。自分がコンビニとかで、「これ美味しかったらツイッターでみんなに言おう」と思って買って食べてみたもの美味しかった試しなし。でも誰かが美味しかったというものを食べてみると、ハマることが多い。

 

無印のリュックに書類やパソコンを入れて使ってみたら、持ち上げるときは確かに重いのに、背負うと軽い、という不思議現象が起きた。前のリュックよりこっちのが断然楽だった。買ってよかった。

 

今回、リュックを無印にしたきっかけはinlivingの影響だったけれど、

もとから無印にしようという潜在意識もあった。

 

リュックが壊れる前から、いいなと思っていたリュックはたくさんあった。

街中や電車内で「あの人のしょってるリュックめちゃいいな」といつも思う。

そうして候補が増えて、増えて、私はどうなるか

選べなくなる。

どうしよう、どれにしよう、ぜんぶほしい、悩む、やばいほどの時間が消える、となるのが前もってわかっていた。

 

私は物事を判断することが不得意で、小さな決断にも多大な労力を消費する。

たとえば物だったら、どんな小さな物でも、今後数年間使っていくということは、常にその「物」が24時間365日、リュックの中やら家の中やらに「存在」し続けていることを意味している。この時点で気にしすぎだとは思うけれど、そこに、100%デザインや機能性を気に入ったわけではないモノが「在り続けている」という意識に私は時々苦しくなるようになってしまった。

自分にとって理想的なデザインや機能性を併せ持ったアイテムなんて存在しないのはわかってる。でも、「これでいいか」という気持ちで買った事実が、常にそのモノから発信されているように感じて疲れてしまう。

今年の1月には手帳選びに苦しんだ。1年間使うもの。実際に使ってみないとわからないけど、値段も1000円2000円して容易に買いなおせるものじゃない。だから自分に合ったものを選びたい。

だから迷う。私は何かに迷ったらそのことだけに時間を割いてしまう。だんだんと集中力がなくなってきて、虚無に喰われる。抜毛症の症状が出る。気づくと1日の大半が終わっていることもある。優先順位の高いやるべきこともやらず、時間だけが過ぎて、選び疲れるだけ。結局選べてない自分が嫌になる。ほしいものを選ぶという楽しいはずの行為が、だんだんと苦痛になってくる。その苦痛を乗り越えていざ望みの物を買った先には、本当にこれでよかったのだろうか、という新たな苦痛が待っている。買ったなら腹をくくってそれを愛用すればいいのだけど、

本当に気に入っていたのならそもそもあんなに迷わなかったのでは?

やるべきこともやらずに選んだのに結局こんな気持ちになるのか?

という思いが頭を支配してしまう。

昔は違った。

家にあるものを気にせず使っていたし、必要なモノも100均とかで適当に手に入れていた。それでなんの心理的苦痛も感じていなかった。(重大な決断に関してはノイローゼになるくらいそのことだけを考えて時間を消費するということは昔からあった。)

今みたいに重症になったのは最近のことだ。

時間だけが過ぎていく。

やるべきことも、やりたいこともできない。

細かい事にも慎重に考えを巡らせている、とか、こだわり、と言えば聴こえはいいけれど、私はそうじゃない。単純に決められない。神経質になっている。

このままでは人生が終わってしまう。アー

 

そんな私にたいして、無印良品はただそこにいてくれる存在だった。

白と黒、木やガラス、ステンレスなど、シンプルなものを基調にして、

 

「選択することに疲れたら ここへおいで」

 

と、玄関の鍵を開けておいてくれる。

手帳選びにつかれたときも、最終的に無印良品のマンスリーウィークリー手帳で落ち着いた。 無印がなかったらきっとあのまま迷い続けて、もっと時間をむだにしていたと思う。

 

以前、SNSで「なんでもかんでも無印良品で買う人は思考を放棄しているのでは?」という旨の投稿を見たことがある。そういう人もいるかもしれないけど、そうじゃない人もいる。みんな考えがあって無印良品を使っているのだと思う。私は「迷ったら無印良品」と決めることで、選択するエネルギーを節約できるようになった。思考を放棄というか、思考を委託?それも違う気がする。ただシンプルなものが欲しい。無駄なマークや模様のついていないもの。それを無印良品が作ってくれる。もっとはやく無印の良さに気づきたかったけれど、今が一番早いからいいや。