shozaifumei

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私が写真のようなものを始めてから今までの約3年間、片手で数えられるくらいだけど、本当はもっと少ないのかもしれないけれど、ずっと見てくれている人たちができて、それは私には奇跡みたいなことなんだ。

3年前、アルバイトで貯めたお金でカメラを買った。

 

単発のバイトに毎回行っていた私は、1週間ほど続く大きなイベントのチームリーダーになってしまい、慣れないまとめ役で心身ともに疲弊していた。終電に乗っても最寄り駅に辿り着けず、最寄りのいくつか手前の終着駅で降りて、一緒に参加していた親友とともに24時間営業の飲食店に入った。

 

「この仕事が終わったら、カメラ買うんだ」

深夜1時。死んだ目の私がそう言うと、親友は「おおっ」と目を輝かせた。

「ついに〇〇(私の下の名前)が一歩踏み出すのか」と、嬉しそうに。

その親友は小学3年生からの付き合いで、私が高校を辞めてからも定期的に会ってくれていた。私がグレてホストもどきみたいな容姿になっても一緒に出掛けてくれた。私が唐突に誘った「明日秩父行かない?」にも付き合ってくれたりした。その当時のことを話すと、彼は「俺も毎日死にたかった。お前にどれだけ支えられたか」という旨のことを言う。

今は一年に一回会うか会わないか。たまにアカウントを覗くが、人生で一番楽しそうだった。

 

バイトの給料はたった数万円だったけど、それで買える範囲のカメラとレンズを探した。

写真サイトで見た「いいな」って思った、知らない人が撮った車窓からの景色に一目ぼれした。その写真がFUJIFILMで撮られたものだったからというのもあって、私はFUJIFILMのミラーレスと、傷の入った安いレンズを買った。

 

それから3年が経った。

SNSで、私の理想とすることを15歳かそこらで体現している人を観測して、私は今まで何をしていたんだろう、と思った。

でも私が写真のようなものを始めてから今までの約3年間、片手で数えられるくらいかもしれないけど、本当はもっと少ないのかもしれないけれど、ずっと見てくれている人たちがいて、それは私には奇跡みたいなことなんだ。

私程度の小さな人間には、という意味ではなくて、私には。シンプルに私にとっては、という意味で。幸せの感度を無理に研ぎ澄ましているわけではなくて、それだけは本当に奇跡みたいなことなのだという認知が私にはある。だから、感謝の気持ちを忘れたくないなと思う。その気持ちをもって、もっと上手くなりたい。上手くなりたい。