shozaifumei

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散り散り

思いつく言葉の数々はあるけれど、それぞれにエピソードはない。ただ思想だけが浮かんでくる。個々を主題として何かを書いてみたいけど、それができない。二、三行で終わる。それでもいいのかな。それで続くのかな。


ここ数日、
もう絶対にあの時には戻りたくないのに、戻りつつある。
あの時辛かったことをもう二度と繰り返したなくないけど覚えていたい。それは、決して戻りたいという意味じゃない。ただ忘れたくない。思い出したくないけれど、消えてしまったら悲しい。当時の気持ちをバネにするため?でもべつにバネにしてない。荷物になってる。ただ消えて欲しくない。引きずられる、なら消したほうがいいけど。
昨日思ったことを読み返すと既に意味がわからなくなっていることがある。
「戻りたくないけど溺れていたい」とか書いてあるけど意味がわからない。溺れたくない。


最近のこと、

私には、こう返ってきたらこう答えよう、という想像する癖がある。こう聞かれたら自分はどう答えたいんだ?と思考を広げる材料にはなっているが、コミュニケーションとは脳の領域が違うらしく応用できない。むしろ裏目にでるとコミュニケーションがとれなくなる。自分一人で想像を進めすぎて気持ち悪いことになる。
そこまで気を遣えるんですね、と言ってもらえたとしても、
いや、気を遣う能力と人を傷つけない能力はイコールじゃない……と思う。ていうかそもそも社交辞令かもしれない。

誤解を恐れての説明も行きすぎると押し付けになるし自己中心的になる。してしまったなら、誤解を解くよりまず謝罪だろう。

ああ、言葉遣いの荒い人の使った言葉って使いたくなくなるんだな。

「地球で人を傷つけることを経験し後悔し学んで来たため、天国には優しい人しかいない。」という文を思いついたけれど、
それを人を傷つけたことのある人が言っちゃおしまいなのでは?

私はカップル厨なのかもしれない。
すでに出来上がっているカップルは微笑ましい。既に出来上がっているというより、その恋人同士のどちらも、自分とはなんら関係のない場所にいる人たちである、ということが重要なのか。役者がそろっている。私はただ見てるだけでいいから、すごく楽だ。私があたふたしなくても、その人を守ってくれる誰かがいる。メサイアコンプレックスがまったく荒波を立てない。メサイアコンプレックス持ちなら、その人を守ってくれる誰かが既にいても、自分が救いたいと思うものなのかな?でも私はそうじゃなかった。

言葉を発することさえ億劫になっていたが、誰かを褒めたり感謝を伝えるという目的と抱き合わせれば喋れるのでは。でもそればっかりだと評論家みたいになってしまうのでは。

この人にとってはこれが死ぬほど辛いことなんだ、と知れたのが嬉しかった。

恋人でもないお前には関係ないでしょ、というチートを使われないために、私たちは形式的なものを結ばなければならない。