shozaifumei

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同じ魂

 




同じ境遇だからといって

同じ悩みを持っているからといって

同じものに飢えているからといって

同じものを求めているからといって

同じ病気だからといって

仲間になれるわけじゃないことについて。

数年間考え続けている。答えのようなものが浮かんではぼやけて、浮かんではぼやけて、うまく言語化できていない。

微かな違いや、一寸違わずとも、そこから生まれる感情が一緒ではなかったり、それが火種になっていた。

昔ほど悩まなくはなったけど。

関わってみようか考えて、しばらくたってから、ああ、やっぱり違ったようだ、手を伸ばさなくてよかった、そんなふうに感じる自分を卑しく思う。いったい何を基準にしているのか。

期待を持たなければよくて、それはできるのだけど、そうすると極端に冷めた感情を持ってしまう。そこをどうにか調整しようとしたり、そういうこと自体がいらないのかもしれない。仲間になろうがなれまいが、そもそも仲間ってなんだろう。仲間になれそうかそうでないかとか、根底から間違っているのもなんとなく自覚している。ただ可能性としては、仲間になれなくても味方にはなれるはずだということ。




1つの記事の中にその日の出来事や昔のことから連なる気持ちとかをつめこむのもリアルだとは思うけど、感情や項目ごとにタイトルつけて1つの日記としたほうが、あとで読み返すとき探しやすいしタイトルから連想しやすいかなと思って、このスタイルを実験してみます。