割れたテレビ断捨離した
最近、毎日寝床の位置を変えている。寝る位置によって朝日の差し込み具合が違うから、どこの位置が一番起きやすいか実験をしているのだ。でも結局は気持ちが一番なわけで、起きることにモチベーションのない私は今日も今日とて三度寝をしたのだった。
今日は壊れたテレビを捨てようと思っていた。
自転車で20分くらいのところに指定引き取り所があるので、そこに持ち込みの予約の電話をしなければならなかった。昨日、ガスと賃貸保険の停止申し込みを頑張って電話したその勢いがまだ残っていたので、起きてすぐに引き取り所に電話することができた。11:30までに持ってきてくれとのことだった。急いで支度をして、まず駅の近くにあるレンタルサイクルで自転車を借りて、またアパートに戻ってテレビを荷台にくくった。危なすぎる。引き取りに来てもらうこともできたけど、出張費と運搬費がかかるのだ。
安全第一で運転して、引き取り所まで向かった。途中、見覚えのある道に遭遇した。前にも来たことがある。いつだったかも、なんのためにかも忘れた。まあ徘徊していたんだろう。なんとか辿り着いてテレビを引き渡し、ひとまず土手に上がって一息ついた。このままどこかへ行ってしまおうかと思ったけれど、そのまま帰った。今思えばあのまま多摩川の向こう側に行っていればよかったなあと思う。そういえば行きたいところがあったんだ。自転車の返却時間は18:00だった。せっかく自転車を借りたのだから、さよならする街から行けるところまでサイクリングしようと思ったけど、やることもあるし、もう体力も30%ぐらいしか残っていないしで家でぐったりしていた。ぐったりしていたのでやるべきこともやってない。自転車を返すついでにスーパーを何件か回ったけど、何を食べたいのかわからなかった。結局コンビニで気になるパンを買って帰った。食べたら気持ち悪くなった。
書いてて、ほんとうはこんなこと書きたいんじゃないと思ってる。難しい。
今日
今日は何を食べましたか。
朝ごはん、昼ごはん、夜ごはん、おやつ。
朝と昼は一緒でしたか。
朝何時に起きましたか。何度寝しましたか。その起きるたびに何を思っていましたか。
おやつは美味しかったですか。そのおやつ、お気に入りのやつですか。美味しそうだと思って買ってみたのですか。なんとなく試してみようと思ったのですか。
何をしましたか。できませんでしたか。
上手くやれましたか。ちょっと失敗しちゃいましたか。
誰と何を話しましたか。
その人のわずかな機微に何を感じましたか。
お気に入りのペンはなんですか。そのペンの気に入ってるところはなんですか。特に理由もないですか。なければないことを聴きたいです。
少し疲れた。明日も疲れるだろうけど、進むしかない。
頭の中で台本つくったり、ものごとに関して細かすぎるほど考えを巡らせるの、裏目に出たら人間関係悪化するからやめようと思っているよ
昨日、家に帰ってポストを見たら、この前、役員面接を受けた会社から封筒が届いていた。
結果だろう。
どういうつもりで開けようか。
集合ポストから玄関までの間、そんなことを考えた。
①落ちただろうな…、と落胆しながら開けるのか。(落ちていた場合、予想通りで衝撃も少なくて楽。受かってた場合、「え、なんで?」と思う。面接のどこがよかったのか思い出す)
②まぁ落ちたっしょ、とポジティブに開けるのか。(落ちていた場合、あーやっぱね、と予想通りで楽。受かっていた場合、逆に不安になる。)
③受かっちゃったのかな…、と不安に思いながら開けるのか(落ちていた場合、安堵する。受かっていた場合、ここでいいのか不安になる。)
④受かってるだろうな、と自信満々に開けるのか。(落ちていた場合、なんで落ちたのか原因を探る。受かっていた場合、ここでいいのか不安になる。)
4つのパターンから、さらにそれぞれのパターンで予想通りの結果だった場合と、予想の反対だった場合の自分の気持ちをも想像して、合計8パターン。
どのパターンが、これからの自分にとって一番いいだろうか、なんてことを考えた。
なんでこんな面倒なことをしているのか、
あんまり受かりたくない。正直手ごたえがあった。
この会社での仕事内容には興味はあるのだけど、自分に務まるのか不安だ。
給料が低い。一人暮らしはきつい、のに勤務地的に実家からは通えない。
実家に戻ったらやろうと企てていた野望が土日しか遂行できなくなる。
仕事に追われて土日は寝て過ごすという未来が怖い。
もともと、自分は週5で働くのは絶対無理だと思っていたのに、週5で働くことになるのが怖い。早く封筒開けろ。
髪だってアッシュに染めたいのに、
それに、せっかく履歴書の書き方とかわかってきたのに、わかってきてから初めて受けた会社に、他を試す間もなく決まってしまうとしたら、喜びより不安のが大きかった。
たった一社受かったくらいで履歴書の文章が上達した証拠にはならない。封筒開けろ。
まあたとえ受かっていたとしても、辞退すればいい。でも、ここを辞退して、この先どこかで採用される保障なんてないし、就活を延長するとなると自分のメンタルはもつのだろうかなんてことも考えた。早く。
ここでいいのか不安になりながら入社したくないので、落ちたっしょ、と極力思いながら、
買ってきたお弁当を温めながら、はさみで封を切った。
眠気海鼠
6:00に起きて、気付いたら10:00になっていた。
引っ越しに向けて荷物の整理をする。
売る本を選別する。
あるいは、
とっておく本を選別する。
押入れから本を引っ張り出す。
読んでない本ばっかりだ。
その事実に疲れるから、もう手放す。
読みたくなったら、その時また買えばいい。
一冊ずつ。溜めないで。
とりあえず軽く読めそうな漫画は読んだ。
終わりのセラフ。
4巻あたりで集中力が切れて、チョコを大量に食った。
日が出ているうちに一度外に出ておかなければなと思って、ご飯を買いに行った。つくね、駅前のスーパーで見た、つくねのチーズ焼きを食べてみたかったんだ。それから、セブンのグリーンカレーと、山頭火のカップ麺。冷蔵庫は売り払ったので、その日その日で、食べたいものを食べる。
悪いクセで、また寄り道をした。いつも電車の窓から見えていた景色を訪れてみたかった。最寄り駅からどこかへ向かうとき、いつも見えた景色。不思議だ。車窓からは見えたのに、実際には見つからない。場所的にはここのはず。川沿い、大きな木、この辺のはずなのに、車窓から見た景色と似ても似つかない。角度の問題なのか?そのまま川沿いを10分くらい歩いた。
別のルートで引き返してきて、スーパーに行った。つくねを買って、いつもは行かないちょっと遠いセブンイレブンに行った。グリーンカレーはなかった、というかどこのセブンにもなかったのでもう売ってないのかもしれない。代わりにおいしさまるごとナチュラルポテトと、ミーノそら豆を買った。帰りにもう一つのスーパーに寄って、卵と、桜のペプシを買って帰った。
2019/02/11(月)
おはよう。
叩き起こされたけど悪くない。
寒くて死にそうだけど悪意はないので苦しくなかった。
寝癖を申し訳なく思いながら喫茶店に入った。
コーヒーを飲みながら思い出した。
私は目の外側の面積が広いから、人を横目で見ると睨んでいるように見える。だから人を向く時は、目を先行させずに顔の向きと並行して人を向くようにしていたこと。でもそれもぜんぶ泡沫だった。
友達とはなんだろう。
困った時も助け合える人?
関係性によっては、リスクのあることは友達とはやらないのもあり。トラブルがあったとき困るから。
そんなんで壊れるなら最初から友達じゃないという話ではない。
友達であり続けたいからリスクは避ける。なにもネガティブなことじゃない。リスクを避けようと、ちゃんと地に足つけて考えていることは、友達との関係を大切にしていることでもある。友達?友達との関係? これらはべつのものか。でも今日は深入りしないでおく。
リスクのあることに共に取り組める関係性の友達もいるし、リスクのあることは避けましょう、この関係を守るために、という友達もいる。両方いる。どっちも大切だ。実際に私に友達がいるかは別として。
今日やらないと一生やらない。
一生やらないってことはないでしょう。
必要に迫られれば、っていうか、いつも必要なんだけど。一人だと本当になにもできない。
私もそうなの。
共感に見せかけた否定じゃなくて、純粋な共感に安心する。
カロリーメイトのチーズ味は滅びたと思っていた。
でも今日、見つけた。
死んだあと人生の録画を観れるなら全部捨てて生きていけるのに。
あと一か月もしないうちに引っ越すけど、おとといから家計簿をつけ始めた。
先月とかは記憶に紐付くものを除いてばりばり捨てていたのだけど、ノートが5冊ぐらい余っていたのと、どうにか整理できないものかと思っていたのとで、とつぜん思いついてやってみた。
レシートをセロテープでノートに貼るだけ。これなら書く面倒もないし、セロテープでぺたぺたしていくのは案外、苦じゃなかった。それに、レシートをまとめて束にしておくよりも、一冊のノートとして形になっていくのは精神衛生上よかったみたいだ。
一日一ページ。何も買ってない日は、翌日を詰めないで空白のページを設けてみる。その日は何も買ってないと一目でわかる。
レシートを見返すと、どんな気持ちでそれを買ったか思い出せる。
ちょっと違うか。
それを買った当時、自分がどんな状況にいて、どんな気持ちだったか思い出せる。思い出す材料になる。記憶をたどる懐中電灯みたいな。レシートに限らず、日記とか写真とかモノとかも全部そうだ。
思い出したくない気持ちを思い出す。でももう二度と繰り返したくないことについては、戒めとしてあえて目に入るところに置いておく習性が私にはある。思い出したくないけど覚えていたい。覚えていたいけど思い出したくない。こんなことをしなくても、もう充分学んだ、私は同じことは絶対にしない、とも思う。戒めを必要とするのは、これからの自分を信じていないことになるんじゃないかと思うこともある。でも信じていても、念のためだ。信じていても念のためだ。
戒めとしてだけだはなくて、単純に過去のことを思い出すアイテムとして使えることもある。このアイテムを捨てたら、ほんとうにいつか偶然思い出すきっかけがないと死ぬまで思い出さないんじゃないかと思うと寂しくなって、捨てられない。忘れていけよとも思う。全部持っては生きていけない。過去のことなんて忘れていけ。メモも日記もカメラロールも。失くす前に捨てたい。死んだあと人生の録画を観れるなら全部捨てて生きていけるのに。
前もって教えてほしい。
でもそういうシステムがあったら、きっとあの世でも過去のことばかり振り返って引きこもりそうだ。
ついでに映画などの半券ノートもつくった。半券もこのノートを思いつくまでのものたちは捨ててしまった。スケジュール帳に貼ってしまおうかとも考えたけど、普段開くものが分厚くなるのがいやだったから専用のノートをつくった。半券も記憶の懐中電灯になるのだけど、なぜかレシートほどの光の強さはなかった。何故かはわからない。映画のほうが、なんでそれを見ようと思ったかという気持ちが当時の状況と紐づいていそうなものだけど。食べ物とか、生活に密着したレシートのほうが記憶と結びついてるのかもしれない。
無印良品は私を救ってくれる
リュックが壊れた。
私はリュックをすぐに壊してしまう。
なんでかというと、いつも時間ギリギリに家を出て、重い荷物をつめた状態で駅までトム・クルーズダッシュするから。
壊れたのは単純にムック本付録のリュックだから丈夫さに欠けていたせいもあるかもあるかもしれない。
そうだとしても、時間にゆとりを持って行動すればこんなことにはならなかった。
ゆくゆくはそういう生活をしたい。する。
でも、私は私のあほな部分も受け止めてくれるリュックがほしい。
さいきんyoutubeで「inliving」というチャンネルを見てる。(あとポッキーさんのバイオハザードRE2の実況動画。)
私はYeYeの「ゆらゆら」という曲のPVが好きで定期的に見返す。そのPVに出ていた女の子が、inlivingの女の子、りりかさんだったということに今まで気づかなかった。
そのinlivingを見ていたところ、りりかさんが無印良品のリュックを紹介していた。
PCを入れることができて。肩の負担も少ないリュック。2990円。買う。
次の日でもよかったけど、今日欲しかったので、徒歩30分のところにある無印良品で小走りで行き、そのリュックを買ってきた。
最近、誰かがおすすめしたり、コレ美味しかった、と言っていたものをよく好む。道具も、食べ物も。自分がコンビニとかで、「これ美味しかったらツイッターでみんなに言おう」と思って買って食べてみたもの美味しかった試しなし。でも誰かが美味しかったというものを食べてみると、ハマることが多い。
無印のリュックに書類やパソコンを入れて使ってみたら、持ち上げるときは確かに重いのに、背負うと軽い、という不思議現象が起きた。前のリュックよりこっちのが断然楽だった。買ってよかった。
今回、リュックを無印にしたきっかけはinlivingの影響だったけれど、
もとから無印にしようという潜在意識もあった。
リュックが壊れる前から、いいなと思っていたリュックはたくさんあった。
街中や電車内で「あの人のしょってるリュックめちゃいいな」といつも思う。
そうして候補が増えて、増えて、私はどうなるか
選べなくなる。
どうしよう、どれにしよう、ぜんぶほしい、悩む、やばいほどの時間が消える、となるのが前もってわかっていた。
私は物事を判断することが不得意で、小さな決断にも多大な労力を消費する。
たとえば物だったら、どんな小さな物でも、今後数年間使っていくということは、常にその「物」が24時間365日、リュックの中やら家の中やらに「存在」し続けていることを意味している。この時点で気にしすぎだとは思うけれど、そこに、100%デザインや機能性を気に入ったわけではないモノが「在り続けている」という意識に私は時々苦しくなるようになってしまった。
自分にとって理想的なデザインや機能性を併せ持ったアイテムなんて存在しないのはわかってる。でも、「これでいいか」という気持ちで買った事実が、常にそのモノから発信されているように感じて疲れてしまう。
今年の1月には手帳選びに苦しんだ。1年間使うもの。実際に使ってみないとわからないけど、値段も1000円2000円して容易に買いなおせるものじゃない。だから自分に合ったものを選びたい。
だから迷う。私は何かに迷ったらそのことだけに時間を割いてしまう。だんだんと集中力がなくなってきて、虚無に喰われる。抜毛症の症状が出る。気づくと1日の大半が終わっていることもある。優先順位の高いやるべきこともやらず、時間だけが過ぎて、選び疲れるだけ。結局選べてない自分が嫌になる。ほしいものを選ぶという楽しいはずの行為が、だんだんと苦痛になってくる。その苦痛を乗り越えていざ望みの物を買った先には、本当にこれでよかったのだろうか、という新たな苦痛が待っている。買ったなら腹をくくってそれを愛用すればいいのだけど、
本当に気に入っていたのならそもそもあんなに迷わなかったのでは?
やるべきこともやらずに選んだのに結局こんな気持ちになるのか?
という思いが頭を支配してしまう。
昔は違った。
家にあるものを気にせず使っていたし、必要なモノも100均とかで適当に手に入れていた。それでなんの心理的苦痛も感じていなかった。(重大な決断に関してはノイローゼになるくらいそのことだけを考えて時間を消費するということは昔からあった。)
今みたいに重症になったのは最近のことだ。
時間だけが過ぎていく。
やるべきことも、やりたいこともできない。
細かい事にも慎重に考えを巡らせている、とか、こだわり、と言えば聴こえはいいけれど、私はそうじゃない。単純に決められない。神経質になっている。
このままでは人生が終わってしまう。アー
そんな私にたいして、無印良品はただそこにいてくれる存在だった。
白と黒、木やガラス、ステンレスなど、シンプルなものを基調にして、
「選択することに疲れたら ここへおいで」
と、玄関の鍵を開けておいてくれる。
手帳選びにつかれたときも、最終的に無印良品のマンスリーウィークリー手帳で落ち着いた。 無印がなかったらきっとあのまま迷い続けて、もっと時間をむだにしていたと思う。
以前、SNSで「なんでもかんでも無印良品で買う人は思考を放棄しているのでは?」という旨の投稿を見たことがある。そういう人もいるかもしれないけど、そうじゃない人もいる。みんな考えがあって無印良品を使っているのだと思う。私は「迷ったら無印良品」と決めることで、選択するエネルギーを節約できるようになった。思考を放棄というか、思考を委託?それも違う気がする。ただシンプルなものが欲しい。無駄なマークや模様のついていないもの。それを無印良品が作ってくれる。もっとはやく無印の良さに気づきたかったけれど、今が一番早いからいいや。
白昼徘徊
必要な書類を学校で発行しなければならなかった。
今日は土曜日。
学校の前で不穏な空気が漂っていた。私はイヤホンを外して備えた。
「何?」
正門に立っていた見たことのない男性職員が、鬱陶しそうな口調でそう言い放った。
「成績証明書を発行する機械を使いたいのですが…」
「あー、受験で規制かかってるから、多分無理だね」
たぶん?試しにちょっと見てきていいですかとは言えず、
あ、そうなんですね、わかりました、と幽霊みたいに言い残して、私は別のルートから入れるだろうと画策して、校舎の裏に回った。
そこにも立ち入り禁止規制。行こうと思えば行けるけど、
見つかったらいろいろと危うい気がした。事務室側にも回ってみたけれど結果は同じ。
私はしばらく座り込んで頭の中をぎゅうぎゅうにして落ち着けようとした。
私は学校の事務室に電話をかけた。
いがいとすぐに出てくれたのは、総務部のおばあさんだった。
総務部なら、詳しく知ってそうだ。
「すみません。ちょっとお聞きしたいことがあるのですが、本日証明書発行機器は使えますか?」
「いま規制中なので、規制が解除されるまでは、そうですね、使えません」
「規制はいつごろ解除されますか」
「3時半…4時頃を見といたほうがよろしいかと…」
電話を終えて、一息つく。
話すのが比較的楽な人でよかった。私は電話が苦手だ。
現在、午後1時過ぎ。
規制解除して証明書を発行できるのは午後4時から。
どうしようか、ちゃんと調べてくればよかった
でもこの書類は月曜日には必要で、月曜の朝にもう一回ここに来るんなら今日もらっちゃったほうがいい。
どこかで、自己PR書というよくわからないものでも作るか。
学校の図書館は閉館だった。
近くに公共図書館があったので、そこに向かった。
何か食べようと思って、薬局に入った。冷蔵コーナーでにらめっこして、鉄分の入ってる飲むヨーグルトにした。最近、左まぶたの痙攣がずっと止まらない。
図書館では鳥のちゅんちゅんと風の凪模様がBGMとして流れていた。閲覧席は満席だった。奥に進んでみたけれど、そこも満席だった。勉強をしている人と、本を読んでいる人がたくさんいた。小学生らしき子も。中学高校生くらいの子も。ちょっと身なりがギャルママっぽい人も。世の中に、こんなに本が好きで、本を活用している人がいるのだということがちょっと嬉しかった。
図書館の雰囲気が好きだ。あと、本を検索して、目的の本棚まで行って、ID辿ってる時のライブ感というのか、それが好きだ。
私は中学生以来、文字が目の上で滑るようになり、それから本を読む習慣がなくなった。読みたいと思った本も1ページも開けずに積んである。たまに読める日は調子がいい。
市内共通の図書カードがあると席を予約できるみたいだったけど、カードも忘れたし、受付の人と話す元気もなく、近くにある別の図書館に行く気力もなかったので、散歩した。
ここに前にも来たことがあった。
昼休みや、空きコマに
とにかくどこかに行きたくて
お気に入りの場所を見つけたかった
踠きだったのかもしれない
散歩は私にとって、一種の自傷行為だったのかもしれないと最近思い始めた。
気晴らし、現実逃避、できること、やりたいことやりたくないことやれることやれないこと。
足が痛くても、家に帰りたくても、時間の無駄でも、数百円の電車賃しか変わらなくても、楽しくなくても、ずっと歩いていた。
そのつもりがなくても知らないうちにしていることもある。絶対に人を巻き込まないように自分を戒める。静謐な空間を見つけて感動したこともあった。でもそれを共有したいと思うことも時に身勝手なことなんだ。思い出とクソが同時に存在する朝日だってある。
いい曲過ぎて今まで知らなかったことに死にたくなる曲リストを作っていく
星々の渡り鳥/やなぎなぎ
sunny,cloudy/ハルカトミユキ
君のこと/泉まくら
誕生日の子供たち/halozy
butterfly swimmer/school food punishment
今日2
2019/01/26
「何もしないでいるのが不安で耐えきれない人間」になりたかった。
駅に向かう途中、聴いていた歌の詞がきっかけだった。
私は何もしないでいて、不安で耐えきれないでいて、しかしそのまま虚無の中にいてしまう。
だからといって虚無と付き合えているわけじゃない。
虚無は嫌い。なのに私は虚無に喰われている。
そこから抜け出すエネルギーがない。
この事について少し文章を書いたけど、辛くなったので消した。もう少し言葉にできたら追記するかもしれないし、しないかもしれない。
今朝、スマホのバイブの余韻によって目が覚めた。スマホの着信履歴を見ると、さっきの着信は実家のルーターの契約会社からだった。履歴にはもうひとつ着信があった。母だった。気が重かったけれど、履歴書を送った先からの返信が届いたのかもしれないと思って(履歴書の住所は実家にした)、電話をかけた。
母が用あって東京へ出るので、夕方から会うことになった。ハキハキとした口調で、急かされているような気分になったけれど、悪い気はしなかった。外に出るきっかけができてよかった。あと、やはり履歴書を送った先から封筒が届いていたらしい。持ってきてほしいと伝えた。
東京駅に向かっていたのだけど、少し歩いていこうと国会議事堂前で降りた。料金が少し安くなると思ったら、そのまま東京駅に行くのと変わらなかったと、改札でピッしたときの料金表示で知った。地上に上がると人の気配がなく、バリケードの付いた警察車両と警察官が二人、道路に立ちふさがっていた。ほえー、と眺めながらグーグルマップを開き、皇居を通って東京駅に向かった。
東京と銀座の間をぶらぶらした。
ユニクロのブロックテックパーカーのブルーかわいい。
金ないので来年買う。
母と合流して、ご飯を食べることになった。オムライスが有名な喫茶店「you」に行くか、そのとなりのサンドウィッチが巨大なアメリカンなお店に行くか、もうひとつ、小学生の時の友人が働いているパンケーキの有名なレストランに行くかで迷った。パンケーキが食べたかったのか、友人を見たかったのかわからないけれど、私はレストランに行こうと言った。
着いた先は、なんだか入りにくい出で立ちのレストラン。おろおろしていると、土曜の夜だからか次々と他のお客さんが押し寄せて、私たちは先を越されていった。意を決して中に入ると、受付のお姉さんが人数と食事の利用かを聞いてくれた。お姉さんの後ろからさらに現れたお姉さんに案内されて、店の奥に進んだ。
店内は薄暗く、幾層にも重なったお客さん同士の会話と、居酒屋の店員並みにハツラツなウェイトレスたちで騒がしかった。口コミでそのようなことは以前に読んでいたけど、本当だった。店内の奥にはオープンキッチンあって、私は友人の姿を探して、あっさりと見つけた。とりあえず席に着いて、友人を眺める。真ん中にいる、と母に伝えた。友人は厨房の中心で動いていた。核となるメンバーなのだろうか、というより、核そのものの役割を担っているような立ち回りに見えた。
私だったら死んじゃうような忙しさの中で、友人は真剣なまなざしでサクサクと息つく間もなくフライパンを振るったり料理を盛り付けたりしている。私が昔書いた、私と、料理の道に進んだ友人と、当時ギターをやっていた友人の将来を思い描いた絵を思い出した。そこに描いたとおりの光景を、友人が目の前で実現していた。
ウェイトレスさんが飲み物の注文を聞きに来てくれた。
最近、ポッキーさんというゲーム実況者の、「wanna sprite cranberry〜♪」と歌う男にファンタを投げつけるホラーゲーム実況が面白かったので、クランベリーを頼んだ。メニューにはドリンクしか載っていなくて不思議に思っていたけれど、ドリンクを先に頼むシステムらしく、そのあと食事のメニューをもらえた。よくわからない名前がいっぱいで、これはなんぞやとスマホでググる。母がお手洗いに行くと言って逃げたので、私が頼むことになった。
頼んだのは、ほにゃらららなんちゃらのフジッリと、ナントカカントカのスパゲッティ。
注文をなんとか遂げてほっとした私はまた厨房の友人を眺めた。
厨房内を動き回る中で他のスタッフと幾度となく隣り合う瞬間があって、そのたびに何やら言葉を交わし合い、笑顔を浮かべていた。あんなにかわるがわる断続的にいったい何を話しているんだろう。すごいなぁ。エネルギー。学童でわんぱくに走り回っていた友人の姿が思い返された。よく一緒にマラソン大会の練習したなあ。
前菜とスパゲッティが先に来た。前菜にはアーモンド、モッツァレラチーズ、ダイストマト、ビーンズ、あと何かの野菜が入っていて毎日食べたいと思った。スパゲッティも程よくアルデンテでしょっぱくて美味しかった。
ウェイトレスさんがお水を持ってきてくれて、お皿を下げてくれた。
その次も、次に来るフジッリの取り皿を持ってきてから、空いたお皿を下げてくれた。ただお皿を下げるだけ、という動作がなかった。私はただお皿を下げられても気にしないけど、きっとそういうマナーが存在するのかもしれない。マニュアルのないカフェで働いてた時、そういうことを教えられなかったし、自分で、お皿を下げるときはお水を注ぐついでに、とか意識はしていたけど、自分がされる側になると、自分はここまで気を遣えていただろうか、と思った。思い返したらちゃんとやってたけど、混雑しててお皿が足りない時とかはお皿だけ下げていたこともあったので反省した。働いていたカフェと このレストランとではキャパが違うけれど。
マナーがあるならそのマナーを知った上で気を遣いながらする動作と、マナーとか知らなかったけど無意識にしていた動作とでは、前者のほうが「自分はちゃんとやれてる」と自分でわかり自信に繋がると思うから、前者でやっておきたかった。後者は誰かに褒めてもらわないと気づけないし、偶然できなかった時にも自分では気づけないのが怖い。
1時間くらい経っても友人はずっと変わらぬ早さでもりもり動いていた。
私は椅子に座ってるだけで疲れてきている。
となりの席の若い男女は、誰が誰を振った、振った理由はこうで、でもそれを面と向かっては言えなくて、とかいう話をしていた。
厨房では時々フランベが行われて、薄暗い店内が淡く明滅した。友人は片手間に後輩らしき子に料理の過程の何かを教えているみたいだった。
デザートのパンケーキが来た。
パンケーキの上に乗っかっていた白い塊をアイスかと思ってスプーンいっぱいにすくって食べたらバターだった。
私の記憶が改竄されてなければ、このパンケーキは人生で二番目に美味しかった。
(ちなみに一番美味しいのはホットケーキパーラーfur-full)
お店を出て、オニツカタイガーに行った。欲しかった靴は売り切れだった。近くのもう一店舗に行ったけど、取り扱いがなかった。オンラインショップでも売り切れだった。
帰り際、履歴書送付先からの封筒と、母が出先でもらったというチョコやせんべいをもらった。
東京駅の改札脇で接吻する男女がいた。私はそれをガン見し、私に見られていますが、どうですか、と念を送ったが、二人はお互いを見つめ合うのに夢中で私の視線に気づかなかった。しかし、その時には私自身がそんなことはどうでもよくなっていた。
私は丸ノ内線だったので、改札前で母と別れた。
寒すぎたので、丸ノ内線の入口まで小走りで向かう。
履歴書送付先からの封筒は家に着いてから開けるか迷ったけれど、いま開けたほうが結果が分かって楽だと、駅のホームで開けた。中身を取り出さず、封筒の口から文章を覗き込む。この度は貴殿のご期待に添えない結果となりました、という文字列が目に入り、ホッとした私がいた。家に帰って、今後の改善の参考になるかな、と履歴書だけ抜き取って、あとは封筒ごと捨てた。
今日1
10時頃に起きた。ぱくぱくローラーで埃をとって、空気の入れ替えをした。
インフルエンザ対策には紅茶がいいとSNSで見たので、おととい紅茶を買った。
紅茶をレンジでチン。
砂糖を溶かして、ぼーっと部屋を眺めながら飲んだ。
部屋、座る所と、空気清浄機だけにしたいな。
もう、何回もこう思っている。日の光を浴びながら、温かい飲み物で体を温めるんだ。
夕方から用事があった。
事前に話すことを決めておきたかったから、出先付近のカフェで日記を見返そうと、はやめに出ることにした。
玄関には、売ろうとしてまとめたものの、未だに売りに行ってない服の入ったバッグが置かれていた。バッグの上には、まだ売ろうか売らないか迷っていたクラッチバッグがあった。それを持って鏡の前へ。ふーん、悪くないか。今日の服装もあってか、クラッチバッグのブラウンのラインが映えて見えた。あんな父親の遺品だから、姉は「ええ」と多少引くかもしれないけど、私は使えるものは使うタチなんだ。まぁ、まだ使うと決まったわけではない。今回保留しただけで、すぐ売るかもしれない。私は売ると決めたものだけ持って家を出た。
ちょうど出先に、いつも服を売っている店の別店舗がある。
姉とおそろいの「にゃー」のコートが、ショルダーバッグのひもで歪なシルエットになって歩きにくい。コートのボタンを全部閉めたらだいぶマシになった。なんの気なしにスマホをポケットから取り出す。「にゃー」のコート、ポケットの位置が上すぎるので取り出しにくいんだこれが。
スマホを点ける、
バッテリーの赤が目に付く。モバイルバッテリーは……
モバイルバッテリー忘れてんじゃん。
はー、家と駅の中間地点、もういい、行くか、今日はスマホ禁止、
いやまてまて、スマホ内の日記とか読み返したい。
結局、家に帰った。
なんだか石油くさい。
どこかから漏れてるのか。
上の階の住人がシャワーを浴びている音がしている。
部屋に入ってモバイルバッテリーを手に取る。ここまで戻ってくるのに歩いたのは数分だけど、それでも私には随分な運動だったらしい。身体の芯が暑くなっていた。
コートを脱いで、別のアウターに着替えた。
あ、こっちのがいい。
再びバッグを持って家を出た。
映画の主人公が、思い切って恋人との思い出を捨てるみたいだった。
私は私の服を捨てるだけだけど。健気にも売るだけだけど。
インスタで誰かがストーリーに上げていた映画のワンシーンが頭から離れない。
怒りと悲しみが綯い交ぜになったような様子の女性が、机の上の物を一気に床に落としてるシーン。
いまだにタイトルは知らないけど、「朝からキュンキュンした」というコメントが添えられていたので、恋愛ものらしい、早計か?
Amazonプライムにあるかな。
怒りと悲しみが綯い交ぜになったような様子の女性が、机の上の物を一気に床に落としてるシーン。
カフェ。
私のグーグルマップでは、過去の闇の遺産として、喫茶やカフェには目印がついている。
気になっていたお店はいくつかあって、悩んで、おしゃれな方へ。
角砂糖を先に口に含んでからコーヒーを流し込むのも、味わい方のひとつらしい。
カウンセラーさんが結婚するらしい。遠くのほうに行ってしまう。
今日の話、そんなこと話してどうするという話をまたしてしまったな。
いつか、きっと先生と同じくらいの歳になる頃には、私も成長してる。
過去の自分を抱いてはやらない。
後悔と向き合って、抱えたまま、明るく笑えなくても、微笑むくらいならきっと。
「寂しさを人とのつながりに繋げなかった」ときもそうだけど、この数年間、誰かに何かを見せたい気持ちを原動力に何かを作ったり手を出してこなかった。たとえば三秋縋さんは掲示板に物語を綴った。書き込み方とか、調べたんだろう。私はそれすらできなかった。私が唯一やっていた表現らしきものは写真か。もっぱらスマホ写真だった。ミラーレスもあったけど、お金があったら一眼とか、フォトショとか使ってみたかったな。働いてお金できたら買おう。